陸上画像 高橋尚子

岐阜県岐阜市出身。血液型はO型。母親は青森県出身。
中学から陸上競技を始める。
藍川東中学、県立岐阜商業高校、大阪学院大学商学部卒業を経て、1995年に小出義雄が陸上部監督を務めるリクルートに入社。

1997年1月26日に大阪国際女子マラソンを初マラソン舞台とする。この時、小出は各種メディアにイチオシの選手として紹介していた。しかしながら、7位で終わる。
翌1998年3月8日の名古屋国際女子マラソンでは、後半に驚異の追い上げを見せて2時間25分48秒という日本最高記録(当時)を4秒更新してのマラソン初優勝を果たす。
同年12月6日のバンコクアジア大会女子マラソンは、最高気温30度を超す高温多湿のレースとなったが、30kmまでは世界最高記録を更新するかのようなスプリットを刻み、30km以降は落ち込んだものの2時間21分47秒のアジア最高記録(当時)を達成。世界最高記録(当時)まで1分と言うところまで縮めた。また、女子マラソンがアジア大会で初めの開催種目だったので、その後の日本選手の士気を高めて金メダルを量産する原動力となった。(当大会で男子100mの日本記録を更新した伊東浩司はそのように取材で述べていた。)そして、一躍シドニー五輪女子マラソンの金メダル最有力候補として世界から注目される。

2000年3月12日、シドニー五輪の選考会となった名古屋国際女子マラソンに出場。2年前の同大会と同様の驚異的ネガティブスプリットを見せて大会新記録で優勝。これにより、五輪代表の切符を獲得。

同年9月24日のシドニー五輪女子マラソンでは、ルーマニアのリディア・シモンと激しくデッドヒートを演じるが、34Km過ぎでかけていたサングラスを沿道の父親に投げ飛ばしたと同時にロングスパートをかけてシモンを突き放し、スタジアムのトラックでシモンに追いつかれそうになりながらも、そのままトップでゴール。つねにレースを引っ張る堂々たる走りは、ゴール後のさわやかな笑顔とともに、世界のマラソンファンに強い印象を与えた。高橋の五輪での金メダル獲得は、日本マラソン界の長年の悲願達成であるとともに、日本女子陸上界においても史上初の快挙だった。またゴールタイムの2時間23分14秒はジョーン・ベノイト(米国)がロス五輪でマークしたタイムを16年ぶりに更新する五輪最高記録である。(この記録は今もなお破られていない。)これらの功績により国民栄誉賞を受賞。

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