日本の空から「がんばれ!ニッポン!」

日本の空から「がんばれ!ニッポン!」
GWも終わり、気がつけば夏の北京オリンピックまで3ヶ月を切りました。テレビや雑誌などメディアはもちろん、街中でも選手を応援するポスターを目にする機会が増える中、このほどJALからものすごい機体が発表されました。


発表会当日、インタビューに応える元選手たち 
今回JALから発表された機体には、かつて日本を沸かせたオリンピックメダリスト(鈴木大地さん、岩崎恭子さん、森末慎二さん、山下泰裕さん、古賀稔彦さん、有森裕子さん、小谷実可子さん)の顔写真と応援メッセージが描かれているというのです。

この特別機が、今月中旬から東京=那覇、東京=札幌線、大阪=那覇線、大阪=札幌線を中心に就航し、空から日本選手団を応援する……という訳なのです。


機内も、もちろんオリンピックムード満点

限定となる特別デザート 
また、機内ではJALとJOCのロゴをプリントした特別ヘッドレストカバーを装着されたり、特製ペーパーカップでのドリンクサービスが行われるなど、オリンピックムード満点!

これらのサービスは6月からはJALの全中国路線エコノミー座席にも拡大される予定です。さらに、オリンピック開催の8月からは中国線の一部路線/クラスでオリンピック特製機内食が始まります。機内で存分にオリンピックムードを高めて、北京入り! 選手ならずとも、気合十分でオリンピック観戦にのぞめそうです。

為末大と1千万円

為末大と1千万円
400メートル障害の為末 大選手が東京ストリート陸上?題して1000万のクイズの賞金でイベントをやりました。

身近に陸上競技を感じて欲しいと。あれだけ過酷な練習をして、人生をかけているのに、アマチュアなのでお金がありません。

プロ野球選手など何億というお金が入るのに契約時保留にしますが、それぞれ立場、考えが違うので、なんともいえませんが、為末 大選手は今度の大阪の世界選手権で観客動員が上手くいくかどうかが、これからの陸上界がもりあがるかどうか?の分岐点だと言ってました。

そのためには少しでも身近に思ってくれて、盛り上げようとい彼の気持ちが1賞金の1000万の自腹を出さしたのです。

1000万は大金です。でも何億稼ぐトッププロの野球選手や起業家たちにとっては大した額ではないかも知れません。

でもこれは為末 大にとっては生きたお金です。大本当にした野郎です。世界陸上は日本人選手が世界に通用する人もいます。

頑張って欲しいです。まず選手自信のために、次に陸上界のために、次に日本のために。

陸上画像 高橋尚子

岐阜県岐阜市出身。血液型はO型。母親は青森県出身。
中学から陸上競技を始める。
藍川東中学、県立岐阜商業高校、大阪学院大学商学部卒業を経て、1995年に小出義雄が陸上部監督を務めるリクルートに入社。

1997年1月26日に大阪国際女子マラソンを初マラソン舞台とする。この時、小出は各種メディアにイチオシの選手として紹介していた。しかしながら、7位で終わる。
翌1998年3月8日の名古屋国際女子マラソンでは、後半に驚異の追い上げを見せて2時間25分48秒という日本最高記録(当時)を4秒更新してのマラソン初優勝を果たす。
同年12月6日のバンコクアジア大会女子マラソンは、最高気温30度を超す高温多湿のレースとなったが、30kmまでは世界最高記録を更新するかのようなスプリットを刻み、30km以降は落ち込んだものの2時間21分47秒のアジア最高記録(当時)を達成。世界最高記録(当時)まで1分と言うところまで縮めた。また、女子マラソンがアジア大会で初めの開催種目だったので、その後の日本選手の士気を高めて金メダルを量産する原動力となった。(当大会で男子100mの日本記録を更新した伊東浩司はそのように取材で述べていた。)そして、一躍シドニー五輪女子マラソンの金メダル最有力候補として世界から注目される。

2000年3月12日、シドニー五輪の選考会となった名古屋国際女子マラソンに出場。2年前の同大会と同様の驚異的ネガティブスプリットを見せて大会新記録で優勝。これにより、五輪代表の切符を獲得。

同年9月24日のシドニー五輪女子マラソンでは、ルーマニアのリディア・シモンと激しくデッドヒートを演じるが、34Km過ぎでかけていたサングラスを沿道の父親に投げ飛ばしたと同時にロングスパートをかけてシモンを突き放し、スタジアムのトラックでシモンに追いつかれそうになりながらも、そのままトップでゴール。つねにレースを引っ張る堂々たる走りは、ゴール後のさわやかな笑顔とともに、世界のマラソンファンに強い印象を与えた。高橋の五輪での金メダル獲得は、日本マラソン界の長年の悲願達成であるとともに、日本女子陸上界においても史上初の快挙だった。またゴールタイムの2時間23分14秒はジョーン・ベノイト(米国)がロス五輪でマークしたタイムを16年ぶりに更新する五輪最高記録である。(この記録は今もなお破られていない。)これらの功績により国民栄誉賞を受賞。

陸上画像 ユニフォーム

陸上画像に関する競技時のユニフォームについてです。

競技時の服装は濡れても透けないもの。
前と後ろにゼッケンをつける。
普通、数字で1桁から4桁。ロードレースでは5桁も。
小規模の開催では選手側が用意する。
ある程度の大会(予選会や標準記録があり参加者が限られるもの)では開催名やスポンサー名の入ったゼッケンが配られる。
最近は競技会、種目によって(セパレートレーンの短距離走やフィールド種目などで)はゼッケンをつけないことがある。
トラック競技は写真判定の為にレーンナンバーを示す腰ゼッケンをつける。(リレー種目はアンカーのみのことが多い。)
ちなみに、最近の腰ゼッケンは直ぐに取り外しできるよう(レーンが決まるのはレース直前であるから)シール状になっていることが多い。このシールは特にスパッツの生地には全く馴染まないため競技開始直後に剥がれることが多く、オリンピックや世界選手権の決勝レースにおいてもスタートと同時に選手が白いゼッケンを「落とす」光景が見られる。

以上が陸上に関するユニフォームの規則です。

陸上画像でお薦めしたいアスリートは1995年「ミス世界選手権」に選ばれた,ウクライナの女子走り幅跳びの選手で,「Viktoria Vershnina(ヴィクトリア・ヴェルシニーナ)」と言う選手がいます。
1995年ユニバーシアード福岡大会に来日して優勝していたと思います。

陸上画像でお薦めしたいアスリートの中で日本人では池田久美子さん。走り幅跳びの実力者でルックスも美人です。よくわかりませんが、世界記録に近い位置にいるとか、未踏の7mに挑戦しているようです。

陸上画像 アベベ・ビキラ

陸上画像アベベ・ビキラの紹介です。
アベベ・ビキラ(Abebe Bikila, 1932年8月7日 - 1973年10月25日)は、エチオピア出身のマラソン選手で2度オリンピック優勝した。

エチオピアの首都郊外のモウト(Mout)のキリスト教徒の両親の元に生まれ、ハイレ・セラシエの親衛隊の一員(階級は軍曹)になった。1960年のローマオリンピックにエチオピア代表として参加した。偶然に靴が壊れたため(さらに現地で新しい靴を買おうと思ったが自分に合うものがなかったため)裸足で参加したアベベは、当時の世界最高記録の2時間15分16.2秒で優勝した。1937年から1941年までイタリアに侵略、占領されていたエチオピア国民は、アベベの優勝に熱狂し、アベベはエチオピアの英雄となった。軍隊での階級もこの功績により将校に昇進している。又、マスコミには裸足の王者と呼ばれた。このレース前にはアベベは全く無名の選手で、ゴールのコンスタンティヌス凱旋門に入ってきたとき各国の報道関係者も「あれは誰だ」と騒然となった。この快挙を可能にしたのは、スウェーデンから招かれたコーチのニスカネンが指導した高地トレーニングであった。(国土に高原地帯が広がるエチオピアでは国内で高地トレーニングができた)アベベの成功は高地トレーニングが広く取り入れられるきっかけとなった。

4年後の東京オリンピックでは、競技の6週間前に盲腸の手術を受けたため、十分な練習期間を取ることは出来なかった。しかし、アベベは、再び2時間12分11.2秒の世界最高記録で金メダルを獲得した。近代オリンピック史上、マラソンの連覇は初めての快挙であった。また、それ以後アテネオリンピックに至るまで、オリンピックで世界最高記録を樹立したランナーは出現していない。アベベは東京オリンピック以外では、1961年6月に大阪で行われた毎日マラソン(びわ湖毎日マラソンの前身)出場のために来日しているが、この時はコースに入ってきた大群衆や対向車線の車、オートバイ、それに気温27度・湿度77%という悪条件が重なり、レース中に立ち往生するというアクシデントもあって、優勝はしたもののタイムは2時間29分27秒と平凡だった。

陸上画像 室伏広治

陸上画像室伏広治を紹介します。
室伏広治は2004年アテネオリンピックの男子ハンマー投げ金メダリスト。陸上・投擲種目で金メダルを取ったのはアジア人史上初。

身長187cm。体重99kg。握力98kg。血液型はA型。静岡県沼津市出身。愛知県豊田市立東保見小学校、同保見中学校、千葉県・成田高等学校、中京大学を経て、現在はミズノ所属(同時に中京大学大学院体育学研究科に研究生として在学中)。博士号取得。研究テーマは「ハンマー頭部の加速についてのバイオメカニクス的考察」。
日本オリンピック委員会・選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。IAAF選手委員(2期目)。
父親はかつて日本選手権12回制覇、アジア大会5連覇を達成して、「アジアの鉄人」と呼ばれた室伏重信(前日本記録保持者。現在は中京大学体育学部教授)。母親はオリンピック槍投げルーマニア代表のSerafina Moritz (ルーマニア出身、後年父との離婚により生別)。妹はアテネ五輪女子ハンマー投げ代表・女子円盤投げ日本記録保持者の室伏由佳。
2007年現在、日本陸上連盟が行っている格付けでSクラス(最高位)にランクインされている。

室伏広治は幼少時より英才教育を施され、天賦の才能を発揮。成田高校進学後にハンマー投げに取り組む。当時からほかの選手とは別次元の投てきを連発。日本高校新記録を樹立。
中京大学進学後、室伏重信のコーチングを受け、さらに競技力を増す。日本学生新記録・日本ジュニア新記録を樹立。
1994年 - 広島アジア大会で準優勝、銀メダル獲得。
1998年 - 群馬リレーカーニバルで室伏重信の日本記録を破る。バンコクアジア大会では世界的な強豪・アブドゥヴァリエフを破り優勝。

陸上画像 有森裕子

陸上画像のトップは有森裕子です。岡山県岡山市出身。同市の私立就実高等学校、次いで日本体育大学を卒業。学生時代までは無名で、半ば押しかけのような形でリクルート陸上部に入部し、小出義雄の指導を受けた。1990年の大阪国際女子マラソンがマラソン初レース。2時間32分台の記録で6位に入賞する。この記録は当時の初マラソン日本最高記録であった。1991年の同大会で、2時間28分台の日本最高記録を樹立(2位)。一躍日本のトップランナーとなる。

1996年アトランタ五輪女子マラソン本番での有森は、優勝したファツマ・ロバ、2位のエゴロワに続いて競技場へ入る。4位のカトリン・ドーレにゴール直前で追い上げられたが、逃げ切って3位でゴール、銅メダルを獲得した。二大会連続のメダル獲得は、日本の女子陸上選手で初めての快挙である。また、このレースの終盤では前回に続いてエゴロワとの激闘を繰り広げた。

ゴール後のインタビューで「メダルの色は、銅かもしれませんけれども……、終わってから、なんでもっと頑張れなかったのかと思うレースはしたくなかったし、今回はそう思っていないし……、初めて自分で自分をほめたいと思います」と涙ながらに語った姿は感動を呼んだ。「自分で自分をほめたい」という言葉はフォーク歌手高石ともやが書いた詩の一節を引用したもので、この詩を初めて聞いたとき涙を流して感動し、いつかこの言葉を言いたいと暖めていたもので、その年の流行語大賞に選ばれた。

1999年、2年8カ月ぶりのマラソンとなったボストンマラソンで、2時間26分台で3位入賞。この記録が有森の自己ベストである。翌2000年の大阪国際女子マラソンに出走、シドニーオリンピック代表を目指したが、体調万全で臨めず9位に終わり、五輪3大会連続出場はならなかった。そのシドニー五輪本番での有森はTVゲスト解説者として出演、かつてリクルート所属時の後輩だった高橋尚子(当時積水化学所属)の優勝を見届けている。翌2001年の東京国際女子マラソンで、一旦休養を宣言する。2004年のアテネオリンピックでも、TVのマラソン実況解説者として野口みずきの優勝を伝えた。

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